「世界は言葉でできている」からキャッチフレーズの作り方を考える。
◆ローザ・ルクセンブルクの名言からキャッチフレーズの作り方を考える。
女の性格がわかるのは(恋が始まる)時ではないわ。(恋が終わる)時よ。
女の性格がわかるのは(愛し合っている)時ではないわ。(愛が冷めた)時よ。
女の性格がわかるのは(仲の良い)時ではないわ。(敵になった)時よ。
女の性格が恐ろしい、ということだけを言いたいと考えることもできますが、恋が始まって、恋が終わってからの恐怖も体験して初めて全てわかったといえるという意味だとも考えられます。他の二つの例も同じです。仲の良い人と触れ合う女性の性格と、敵を前にした怖い面の両方を見て初めて、女性の性格を理解したといえるでしょう。それだけ、女性の性格は男性に比べて振り幅が大きいということですね。恋が始まる時よりも、愛し合っている時に女性の性格のすべてを分かったきになるので、この振り幅を表現するためには、
女の性格がわかるのは(愛し合っている)時ではないわ。(愛が冷めた)時よ。
のほうが良いかもしれませんね。女性は愛する男性に、醜い部分も含めて全てをさらけ出す、といいますが、本当に醜い部分は愛が冷めて憎しみに変わるときに現れるということです。
そういう意味では、
女の性格がわかるのは(愛し合っている)時ではないわ。(愛が憎しみに変わった)時よ。
のほうがよりよいですね。
社会的に弱いというイメージを払拭して、女性は大きな敵と戦える力があると主張したがる現在の風潮に合っているでしょう。女性は怖いから敵に回してはいけない、女性にはおとなしく従いましょう、という現在の主流の思想にも合致しています。
◆岡本太郎の名言からキャッチフレーズの作り方を考える。
自分らしくある必要はない、むしろ「人間らしく」あるべきだ
自分らしくある必要はない、むしろ「成功者らしく」あるべきだ
自分らしくある必要はない、むしろ「社会の模範で」あるべきだ
自分らしくある必要はない、むしろ「偉大で」あるべきだ
自分らしくある必要はない、むしろ「常識人で」あるべきだ
自分らしくある必要はない、むしろ「いい人で」あるべきだ
「自分らしくあれば何でもいい」というわけではないのは少し考えればわかります。悪い方向に個性を発揮するのはダメに決まっています。どうしても悪い方向に行ってしまう自分と闘いながら「立派な人間らしい」方向に向かう努力をすべきなのでしょう。「むしろ」が付いているので、「成功者らしく」「偉大で」「社会の模範で」だと少し変なキャッチフレーズになってしまいますね。「むしろ」があるので、無理に自分らしくあるよりは、「普通の人」のほうがよっぽどよい、という意味で「常識人で」や「いい人で」あるべきだ、という方がわかりやすいかもしれません。しかし、こうしてしまうと、未熟な自分と戦っていく、という意味がつかないので、「人間らしく」という広い意味で使える岡本太郎の言葉が最高ですね。「人間らしく」には、凡庸であることと素晴らしい人間になるために努力することの両方の意味が含まれています。
実際に元となる岡本太郎の発言では、
自分に忠実に生きたいなんて考えるのは、むしろいけない。
そんな生き方は安易で甘えがある。
ほんとうに生きていくためには、自分自身と闘わなければだめだ。
自分らしくある必要はない。
むしろ、「人間らしく」生きる道を考えてほしい。
のような長文になっています。